―父と義父の終末期から見えてくるもの―
個人的な話になりますが、以前、私は新潟市で「脊髄機能診断・モニター」という国際シンポジュ ウムを開催しておりましたが、会の中間日何か胸騒ぎがして父の病状について郷里那覇の兄に電話をしてみました。すると兄からたった今父が某県立病院で息を 引き取ったということを告げられました。シンポジュウム開催中、すぐに帰る訳にもいかず、悲しみと悔やみに打ちひしがれておりました。休暇を取り帰省し父の終末期のことをその場にいた姉から聞くにつけ、今度は怒りが込み上げてきました。父は呼吸困難を訴え、何とかこの息苦しさを取って欲しいと訴えていたようですが、それ以上のことは出来ないという理由で、医師も看護師もそれほど熱心には対応してくれなかったようでした。あまりの息苦しさに、自ら酸素マスク を取り払い、そのまま意識を失って事切れたようでした。父は難しい血液疾患で治療中でしたが、主治医は殆ど姿を見せず、臨終の時も既に帰宅しておりまし た。患者にとって息苦しさは大変な苦痛です。たとえ回復し得ない疾患であろうとこの苦痛を和らげて頂けなかったのが悔やまれます。
義父の臨終の場合も同様、私には悔いが残っております。義父は脳卒中後遺症で長い入院生活をしておりましたが、九州の義母からある日心配のあまり私に連 絡がありました。急いで入院中の九州の某公立病院に駆けつけました。集中治療室の前の廊下で心配顔の母に色々聞いてみると、呼吸困難が次第に増強したた め、集中治療室に入ったということでした。急いで集中治療室に入って義父のベッドに行くと、意識のないまま気管内挿管され、人工呼吸された哀れな義父の姿 に驚きました。やはり内科で治療されておりましたが、集中治療室に入った理由がもうひとつはっきりしませんでした。やはり主治医に会えないまま帰学しまし たが意識のないまま義父は2、3日の内に亡くなりました。麻酔科の医師が気管内挿管をしたということでしたので、その医師に義父に対する気管内挿管の適応 について聞きましたが、内科から依頼を受けたので、その通りしただけだということでした。義父のような慢性疾患の場合、気管内挿管の適応でないことは集中 治療に携わった医師であれば誰しも周知しているはずです。
個人的な私の父や義父に対する終末期医療(ターミナルケア)から日本の医療の現場が見えてくると思います。つまり先進諸外国の医療の現状と比較して我が 国の医療に欠けている部分の一つですが、ターミナルケアはあまり関心を持たれておらず、ないがしろにされているということです。治らない疾患となると特に 若い医師は関心が薄くなり、回復の可能性がある疾患ばかりに目をやるきらいがあります。意識のないまま管に繋がれ家族との最後の別れをすることもなく逝っ てしまうのは本人も家族も望むことではないと思います。最後の時こそ、痛みもなく息苦しさもなく、家族の温かさに包まれながら生きたいと思うはずです。以 前より私は専門の立場から、ターミナルケアに関心を持っておりましたし、機会がある限りそのような現場に立会い、いかにターミナルケアが重要な医療分野で あるかを関係者に力説してきました。しかし、これを阻む我が国の制度に問題があります。
医療において回復可能な疾患の治療よりむしろ重要なのは回復不可能な疾患を持った患者への取り組みだと思います。特にターミナルケアは、その方の人生の 最後を締めくくる場ですから最も重要な医療であると思います。しかしそうは言っても簡単ではありません。息苦しさを和らげ、痛みを取ってあげることは、私 共の専門の知識や技術からは可能であります。私が相談に乗ったケースでは、私が診るまではほとんどが睡眠薬の投与や人工呼吸で逃げております。意識がない 状態では人生ではありませんし家族との会話も出来ない状態ですから、これは良いケアとはいえません。また、息苦しさを除き、痛みを取ってあげるだけでは十 分とはいえません。その患者さんの趣味、人生観、家族とのつながり、経済的背景などを総合的に判断し、家族との十分な納得行く対話も必要です。それには主 治医だけでは十分でないかもしれません。専門医によるチームプレイ、つまりチーム医療が必要な場合もあります。主治医と患者間のみならず主治医と各専門医 間、さらに各専門医間の密接な連携があって初めて納得のいくターミナルケアが可能です。
それではどうして我が国ではターミナルケアが疎かになるのでしょうか。それは専門医間の横のつながりが乏しいことがまず挙げられます。医療の専門分野は かなり広く、同じ専門分野においてもそれぞれ細分化し得意な領域というものがあります。例えば私の専門領域でも、術中管理、集中治療、救命救急、ペインク リニック、とそれぞれ専門が分かれてきております。術中管理においても更に細分化され、開心術中管理、産科麻酔、小児麻酔、などがそれぞれ独立した学会を 持っているほどです。問題はその専門性を一人の患者にどう生かしていくかだと思います。一人の患者に対して、各専門医が一堂に会して討論し、その患者に最 善の治療を施すというシステムを確立していくことだと思います。1960年代に米国の私の居たメイヨークリニックではすでにこのようなチーム医療が確立し ていました。しかし、我が国では21世紀に入った今日未だにこのシステムが出来ていません。やっと病院間連携は出来てきましたが、肝心の院内における各科 の横の繋がりが十分には未だ出来ていません。その背景をさらに探ってみますといくつかの問題点がありますが、その主なものは二つあります。
第一に、我が国の古い体質の医局制度の存在です。自分の講座或いは医局が発展しさえすればよいという体質です。他の科や医局はどうでも良いのです。しか し患者は医局の為にある訳でもありませんから、困ったものです。つまり医局制度からきた縦割り社会のもたらした弊害が根強くあるのです。これは何も医療界 だけではありません。官僚以下日本全体の問題でもあります。この縦割りは物理的に見ても、社会経済的に観ても大変効率が悪いのです。勿論全て効率が良いも のが良いと言う積りはありません。最も大切なのは医師と患者の信頼関係です。その信頼関係を打ち立てる為にも、専門医間の密接な横のつながりが必須です。 父や義父の場合も専門医師間の十分な横のつながりがあればもっと良い終末期を迎えることが出来たはずです。
第二に我が国の医療保険制度の問題です。例えば、父や義父の場合、他の専門医が医療チームとして加わったとしても、治療費は全て主たる科、つまり父の入 院していた科にしか治療費が支払われないのです。そうしますと、チームとして加わる他科の医師の積極性を生むことに繋がらないのです。つまり余計な仕事と してしかみなさないきらいが出てきます。医療保険制度については、他にも例えば、出来高払いの問題があります。ここでは本題と離れてしまいますので、触れ ませんが、これも真の専門医の育成を阻んでいることは確かです。厚生省はこの問題について姑息的な改正を次々にやっておりますが、根本的なことについては 手を触れておりません。若い医師が終末期医療にもっと積極的になれるような制度にしていくことも必須です。
医療保険制度の問題も間接的に関わってはきますが、これからの日本の医療にとっては専門医間の密接な横のつながりをどのように構築していくかが重要な課題 だと思います。そのためには、医師だけではなかなか難しいのではないかと思います。セカンドオピニオン、サードオピニオンの立場から、医師(あるいは医療 提供者)と患者さん(あるいは医療消費者)間を取り持つような組織の構築がこれからは不可欠です。このような組織や制度創りによって医師間の横のつなが り、患者と医師のつながりがより確かのものになるはずです。