はじめに
2010年11月1日(月)
平成養生訓と題した本書は、貝原益軒著「養生訓」(益軒十訓の一つ、1713)に因んで名づけたものである。益軒(1630-1714)は多くの和漢の事 例を引用して江戸時代の風俗習慣の中からその時代に即した健康増進法を述べている。現代の我々の生活習慣からでもその一部は参考になるかもしれない。
現代社会は激動の時代と言える。20世紀後半からの社会の変動はきわめて大きい。第二次世界戦争の勃発と終結、その後の世界を二分する冷戦時代とその終 焉、そして世界各地における民族紛争、そしていま新しい形のテロとの戦いに大国は脅えている。電子技術や情報技術の驚異的発展とその影の部分である情報の 氾濫とコンピューターヴィールスや情報犯罪がその恩恵を揺さぶっている。
医学の世界でも免疫抑制薬の開発による臓器移植の発達、DNAの発見と遺伝子操作技術の開発そしてその解読や臨床医学への応用と留まるところを知らない 程である。一方、その影では生命倫理観に関する種々の問題点を我々に投げかけている。エイズ など逆転遺伝子を持ったヴィールスによる新たな疾患の登場と世界規模の感染者の増大も大きな問題である。そして忍び寄る地球温暖化と異常気候や化学物質に よる地球環境の汚染は人類をはじめ生物全体の生存に対し警鐘を鳴らしている。この大きな問題に直面しているにも関わらず我々の対策はまだまだ遅々として進 んでいない。自社あるいは自国の経済的発展ばかりにうきみをやつすあまり、事態は深刻化するばかりである。これらの諸問題に対し、マスコミの報道も極めて 表面的な知識の齧りでしかなく、一般に対し正確な知識が伝わっていない。最近の健康食ブームも異常なほどである。医学情報(と言うより宣伝的医療情報と いったほうがよいであろう)の氾濫もこれに拍車をかけている。これらの医療情報の正確性については検証する必要があろう。
医学は、と言うより医療は極めて不完全なものである。人間に対する医療行為に理想的方法は無い。現時点でよりベターと考えられる方法はあるが、それもす べての人に敷衍できるものではない。科学的に確立された方法も実は確率論的に5%の危険率で有意であるにすぎない。つまり簡単に言えば、ある医療技術や医 薬品が有効であると結論する場合、100人の中、95人に有効であればよいのである。あとの5%の人には効果がなくてもよいのである。もう少し、突きつめ ると94%の人に効果が認められ、6%の人に効果が認められなければ効果があるとは言えない。1%の差で有意であるか無いかが決まるのである。この辺にも 科学としての医学と一人一人に対する医療との限界が見えてくるし、5%と言う数字の持つからくりも見えてくるだろう。そしてまた、困ったことに新しい医療 技術というものはその時点ではよりベターと考えられた方法でも後で開発された方法によってベターでなくなったり、副作用が続出したりするものである。それ に伴って、臨床医学は絶えず変動する。したがって、臨床を行うものは好むと好まざるに関わらず、終生、知識や技術の獲得に躍起でなければならないのであ る。もっと厳しく言えば、臨床医の不勉強は罪悪であると言える。何故ならその臨床行為は直接患者の生命に関わるかもしれないからである。
本著は、今臨床に用いられているいくつかの方法や薬について検証し、現時点での問題点について解説し、読者により正確な知識を提供するのが目的である。
2010年11月 1日 (月) コラム『平成養生訓』